お父さんの東京転きん      大野小学校4年   上田 雅大  ぼくのお父さんの仕事は電気工事屋さんです。建物の電気をつけるための かんとくをしています。お父さんのかんとくしたげんばは小島小学校、池田温せん、 ファミリーパークなどがあります。    そのお父さんから去年の夏、「11月から仕事で東京へ行くことになった。」と 話がありました。毎日プロレスをしたりおかしを買ってくれたり、勉強を教えて くれたりしたお父さんがいなくなると思うとさみしくなりました。  お父さんから「雅大が六年になったら帰ってくるよ。お父さんがいない間は、 お母さんたちのことをたのむぞ。」といわれその役目をはたしたいなと思いました。 今まではお父さんがいたからいろんな事をたよってきたけど11月から自分でできる 事はやって家族がこまっていたら少しでも力になっていこうと思いました。    11月になって朝とか夜にお父さんの顔が見れないのがかなしく思うことが 何回かありました。そんな時は、電話したりFAXで顔を書いておくったりしました。 お父さんがよろこんでくれるのがぼくはうれしかったです。    そんなお父さんのすんでいるところがしりたくて今年の春休みに弟と二人だけで 東京に行きました。新かん線の中で二人だけなのでちょっとこわくなりました。 でも新かん線の中から駅で待っていてくれたお父さんの顔を見てホッとしました。 東京の上野動物園はいろんな動物が見れました。後楽園遊園地でお化け屋しきで 楽しみました。お父さんといるといやなことをわすれてしまいました。    お父さんは一ヶ月に一回は帰ってきます。そうするとプロレス、キャッチボール、 サイクリングなどでぼくや弟と遊んでくれます。お父さんといっしょに遊んでいると 時間がたつのが早くかんじます。いつもお父さんがいると一日が楽しく思えます。 お父さんが転きんしてからもうすぐ一年です。あと二年で帰ってきます。    お父さんは「転きんがのびたら会社をやめる。」と言っていました。 会社をやめたらこまるけどぼくはそれを聞いてうれしかったです。 いつも遊んでくれるお父さんがいない毎日は何かしずかになっています。 海とかへつれていってくれたお父さんがいないと毎日がつまらないです。  でも友だちがいるからお父さんがいなくてもいつもがんばれます。お父さんの 転きんでぼくが一番わかった事は家族はやはりみんながそろっているのが いいなあという事です。